建築の歴史

古くからの建造物というものは長い歴を祖建設や建築は持っているわけですが、実際に建設という言葉や建築という言葉が使われ始めたのは、明治時代に鎖国を終わりにし、外国から様々な言葉が入ってきたときだといわれています。

それまでの日本語の中には、constructionやarchitectureに対応する訳語がなかったため、明治時代に作られました。

その後、第二次世界大戦を経て、内務省土木局から国土局へと再改称され、さらに建設省となりました。

このあたりから、建設には土木と建築を併せ持つという概念が一般的になって広まっていっています。

またそれまでは、江戸時代から続いていた建設会社は○○組と名乗っていたことが多かったのですが、ここあたりから建設会社と名前を変え始め、それに従って建設業界や建設業といった言葉も生まれるようになっていきます。

この建設会社が組から名前を改めていくにあたって、真っ先に改称したのが大成建設でした。大成建設は、第二次大戦後の占領軍によって行なわれた財閥解体の際、大倉財閥をなしていた大倉土木が、創始者の戒名から「大成」の名を用いることは決まっていたものの、組に代わる名称が見つからず、行き詰っていました。

その時、アメリカで土木や建築をさすコンストラクションが日本では建設という訳になっているということが話題に上り、そのことから大成建設の名称に決まったといわれています。

これにより、日本では建設業者は○○建設ということが多くなりました。

さて、江戸時代のまだ建設という言葉がなかった頃も、建物は建築されていっていました。多くの職人がいた江戸時代の中でも、建設に関わる仕事をしていた大工や左官、とび職は「華の三職」と言われて、非常に職業でした。

例えば、大工になるまでは非常に厳しく、つらい修行期間を長く過ごさなければなりませんが、いったん職人となれば、賃金は普通の町民の倍はもらっていました。

しかも、労働時間は一日四時間程度しかなく、残業ともなれば時間外手当がきちんとつきました。江戸は火事も多かったため、大工は頻繁に出番がありましたから、大工になれば仕事もお給料もしっかりあった、派手で粋な職業と言われていました。

また、大工は当時の設計士かつ施工主でもありましたから、設計図はいらず、大工の棟梁の思うままに建設工事がなされていました。

それが幕末になって設計図が伝わってきて、明治になってからはさらに設計の技術が発展していくにつれ、徐々に設計は設計士、大工はあくまでも建築部分を請け負うという分業がなされていきます。

そして設計は設計で技術がどんどんアップしていきますし、大工も大工で技術をアップさせていくことになりました。特に設計は、現在ではパソコンを使って、立体的な設計図も簡単にかけるようになってきています。

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建築産業

そのような現代は、建築産業にとっては、大いなる発展への過渡期にも差し掛かっています。

平成12年には、建設産業再編促進策という、建設産業の再生プログラムが実践されることが発表されました。

これにより、大手や中堅のゼネコンでは、編成が淘汰され、生き残りをかけて各社が様々なしのぎを削りあいました。また、建設業界にもITが主流となり、資材やプロジェクトの受発注について、電子商取引市場である建設マーケットといわれるものが立ち上がったりしました。

これにより、従来のゼネコンとサブコンの構造も大きく変わると予想されています。そして現在、建設業界でも大きな注目となっているのが、環境問題です。

土壌改良汚染対策として、重金属や揮発性有機化合物による土壌の汚染に対する対策や、ヒートアイランド現象と呼ばれる、都市部のコンクリート密集地域で気温が上がる問題への対策などが非常に注目を集めています。

また省エネやリサイクルなど、建設業界はさらなる変化を迎える時代へと突入していっているといえるでしょう。